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瑕疵担保

昨日2017/03/06の日記で正直者は作意のない状態ではバカを見るものだが、それではまずい、と書きました。正直者は事実に対して信頼できても帰属意識や忠誠心のような観点では信頼し難い面もあり、大規模な共同体で有益な性質なのにその前段階の小規模な共同体では疎まれます。大規模な共同体も大抵は小規模な共同体の連携として存在しており、認められる機会は少ないでしょう。

正直で優秀な人間は失敗をごまかさないことでさらに信用されにくくなるかもしれません。一般には失敗をごまかすような奴は信用されない、と思われています。しかし、完璧な仕事などほとんどありませんから、「自分に対して」を含めて失敗を細かくチェックしてそれを認めると「気がつかなかったけど、こいつ、そんな失敗してたんだ。あんまり頼りにならないな。」と思われてしまいます。知らぬが花、と言うか、見ぬ物清し、と言うか、言われなければわからない失敗もあると思えばそれほどのものでもないように思えてきます。もちろん、同じレベル、もしくはもっと低いレベルの仕事でも「問題なくやりきった」と言い切ってしまえばそれ以上何も言われません。後で欠陥が見つかっても気がつかなかった、と言えば済みますし、ミスが被害を生む確率は100%ではありません。レベルにもよりますがあらかたは顕在化することなく終わります。したがってトラブルにつながるミスに気がつく人は、例えば顕在化率が2割なら5倍失敗作が多いことになります。これでは他者との競争を勝ち抜くのは難しいでしょう。

競争の結果、適性のないものがやぶれるのはしかたないとして、それで誰が得をするか、です。社会の生産性は構成員の豊かさに直結します。ただ、そこから誰がどれだけ取るかを決めるのは別の話しで、しかし、分け前をいくら大きくしても、全体のパイのサイズが小さくなってはいつか自分の分け前も減ってしまうでしょう。ここは自然に逆らって正直者を優遇する方法を考える必要があるわけです。社会の

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