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振り返り

地震から一年ということで、ちょっと気持ちの整理と感謝の気持ちもこめて書かせてもらいます。

去年は地震だけでなく本当に色々あって今まで生きてきた中で最悪な年でした。

身内の不幸・大病、地震、会社の人間関係トラブル、色恋沙汰(笑)等々・・。

精神的に不安定なことが多かったんですが、地震に関してLINEやコメントで心配して頂いたり、日常的に楽しいコメントのやり取りをしてくれた方々がいた事、陰陽座の雷舞とその時に仲良くして頂いた方がいた事、そういった事が凄く救いになっていたと思います。

この場を借りてあらためて感謝致します。

ありがとうございます。

せっかくなので地震起きた時の事をちょっと振り返って書いてみようと思います。

まず4/14の前震なんですが、僕のところは実はそうでもなかったんですよね。いやめっちゃ揺れはしたけどまだ余裕はあったというか。玄関にとりあえず待機して、結構これヤバくねー?ってことで近くのデカい運動競技場に一応避難して。震度7のとこがあったと知ってビビって。深夜になって一旦おさまったからもうええか、って感じで帰って少し寝て仕事行きました。

職場の商品はやっぱ結構崩れてて、復旧作業に追われました。

んで終わって、いつもの終業時間まで居て、帰って少し気を抜いてたら4/15深夜に本震ズドンですよ(笑)

復旧作業まるで意味なし!(笑)

レンタルしてたグラップラー刃牙読みながら寝落ちしてたら叩き起こされました(笑)

ドッポちゃんが赤子の拳の握り方で殴ったら菩薩みたいで最強じゃね?とかやってるところだったな確か(笑)

で、めちゃくちゃ揺れまくって、これはマジでやべーなと。

おさまるまで布団に包まってました。

必死にジーパンはきながら(笑)

飲みかけのコーラが倒れてかかっててビシャビシャだった(笑)

少しおさまって、ただでさえ散らかってる部屋がさらにめちゃくちゃになったとこを貴重品の入ったバッグだけ持って玄関に行きました。

物が散乱してる上に玄関のドアが鍵かけてたのに歪んでオープンしてた(笑)

隣の部屋の人が大丈夫ですかー!?って来てて、一緒に逃げました。

普段全く付き合いない、ってか会ったことすらないのに、この本震の前に初めてバッタリ会って、「また地震起きたらそっち行きますからよろしくお願いしますねー(笑)」なんて話してフラグ立ててたんですよね(笑)

他の会ったことない部屋の住人も一緒に逃げて、どこに避難しようかとか話してた。

やっぱ非常時って知らない人でも皆協力というか団結するんだよね。これが一番印象的だったかも。

古いアパートだったから揺れで階段痛んでて、降りるときギッシギシ揺れた。

で、下まで降りてどうしようってなってる時に凄い体が震えました。

最初寒いからだと思ったけど、そうじゃなくて恐怖で震えてるんですよね。

情けない話だけど、やっぱ死の危険感じたらこうなるもんなんかなと。

で、結局単独行動になって、右往左往した挙げ句また結局前日と同じ運動場に行って寝ずに一夜を過ごしました。

いろんなとこの壁が崩れてたり、家具屋のショーウィンドウのガラスが全部割れてたりで凄かったな。

それで朝になって、たまたまその日は休みだったんだけど、何故か職場に行きまして。多分一人でいるのが嫌だったんですよね。職場行けば同僚のおっちゃん居るなと。案の定前日以上にめちゃくちゃで、同僚のおっちゃんと呆然としてたら、また結構大きく揺れたもんだから、二人して「もう帰りましょう!帰りましょう!!」って焦って逃げ帰りました(笑)

アパートの部屋はドア壊れて戸締まりも出来ないし、崩れそうで怖いし、もう戻りたくないと思って、被害の少ない実家にそのまま帰りました。

僕は帰る場所があったおかげでその後は基本的に不自由なく暮らせてましたが、益城町や南阿蘇はもちろんのこと熊本市内など広域で長期間停電・断水していたし、避難所や車中泊を余儀なくされている人が多かったので罪悪感みたいなものがありました。同じ県内の被災者でも地域によって格差があったと思います。

今も仮設住宅で暮らしてる人も多いし、家が潰れたり、身近な人を亡くしたりした人にとっては振り返りたくもないことだろうし、僕なんぞは今こんな文章が書けること自体が大したことなくて恵まれてるんだと感じます。

阪神大震災にしても東北の地震津波にしても気にはかけていても結局は他人事だったから、その痛みを少しでも体験できたことは良い経験になりました。

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